NEWS by 福岡自動車博覧会

未来の発信地でありたい モーターショー
2007-12-06 西日本新聞

 東京モーターショーの前身である「全日本自動車ショウ」が初めて開かれたのは、1954(昭和29)年4月のことだ。半世紀以上前にさかのぼる。

 日本自動車工業会(自工会)によると、出品者は254社で出品車両は267台を数えた。ただ、このうち乗用車はわずか17台で、展示の主役は建設車両、トラック、バス、三輪車、オートバイなどだった。当時の自動車産業の実力をうかがわせる数字である。

 国という保護者の下で、自動車産業はよちよち歩きを始めたところだった。

 そして、庶民にとってクルマは夢のまた夢だった。それでも会場となった東京・日比谷公園には10日間で54万7000人が訪れた。「これぞ潜在需要と業界は元気づけられ、国産車の未来に明るい希望を持つことができたのである」と、自工会は当時を振り返っている。

 いま、クルマはかつてのような庶民の夢とは言えない。それでも新しい技術や製品に人々がひかれるのは、そこにまだ見ぬ夢や未来を感じ取るからだろう。

 「福岡モーターショー2007」が7日から4日間、福岡市で開かれる。近未来を予感させるクルマは見て楽しい。

 ただ、私たちは、夢や未来を見て楽しむだけでなく、夢や未来を作り出す役割を九州は担えないかと考えている。

 飛行機や新幹線、自動車は人間の行動範囲を飛躍的に広げた。この快適さや便利さを失うことは考えられないだろう。

 一方、これらは事故や騒音、大気汚染など多くの被害者を生み出してきた。石油資源の大口消費者といってもいい。

 中国やインドなどが高度経済成長を続けている。発展途上国が豊かになれば、先進工業国のようにより多くの人々がマイカーを求めるようになるだろう。

 中でも、中国での自動車の生産、販売の伸びは著しい。自工会によると、中国での乗用車と商用車を合わせた年間販売台数は2004年に500万台を突破し、翌05年には576万台と、日本の585万台にほぼ肩を並べた。

 世界的に自動車需要が拡大していく中で、それに応えるには自動車のさらなる進化が求められる。限りある資源や進む地球温暖化を考えれば、より効率的で、排ガスも出さず、できる限り再資源化が可能なクルマの開発を続けることだ。

 自動車生産拠点としての福岡県の歴史は1973年、日産自動車が苅田町に進出を決めたことに始まる。

 その後、トヨタ自動車が宮田町(現宮若市)に進出、さらに、ダイハツ工業グループの大分県中津市進出によって北部九州の生産能力は一気に高まった。

 国内有数の生産拠点となったいま、研究・開発機能の強化が課題となる。「頭脳」部門をどこまで集積できるかが九州の自動車産業の将来を決める。クルマの未来を担う九州の意欲を国内外に発信する。今回のショーもその役割がある。

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